急ぎすぎていませんか?

華奢な身体つきの姪っ子ちゃん、
大量の本や辞書ですごい重量のカバンを抱えての徒歩通学で、
最近、身体を痛めてしまいました。

電子辞書やPCが生活に入り込んでいることにすっかり慣れた私は、
「こんな物くらい、データで持ち歩くとかなんとかできないのかね!」
と、身内可愛さに、重い辞書の数々に文句をならべました(笑)

まあ、私自身は何を調べるにも、
何冊もの辞書や辞典を片手に、
また、身近に情報がなければ、図書館をハシゴして、
知識を得てきた時代の人間ですけどね(笑)

今は、PC検索で、一瞬で沢山の情報が得られますから、
当時の私たちにしてみれば、
速くて便利な時代になったものだな~、とつくづく思います。


でも、これも良し悪しですね。


早く結論や答えを得ることに慣れすぎたり、
そういうことが当たり前の環境で育ったりすると、
「待つ」「続ける」
という姿勢をとることが、苦手だったり

基本に従わずに、すぐ自分流に歪めてしまったりする姿を
多く見るようになったと感じます。


知識を得ることと体得する事は、同じではありません。

知ることは一瞬でできたとしても、

知った=出来る

では無いんですよね。


例えば、果実酒ひとつにしても、
美味い果実酒を作るには、
時間も必要だという事です。

もちろん、ただ待つのではなく、
最適な状態に保つなどの、作り手の努力は不可欠です。



スピードを上げるには、
他の方面の努力が必要だったり、
もしくは、肝心なところを省略するか端折らないと、
短縮はなかなか難しいのでは無いでしょうか、、、。


慌てて、結果を得たいために、
安易に得られそうなものに飛びつくと、
そこで知識は得られたとしても、
納得の体得をするのには、
何倍も遠回りをすることもあるんじゃないかなと、

何千年も掛けて姿を成していく石たちから
その姿をもって教えられています。


変容には、一見無駄に見える「ゆっくりな時間の流れ」が必要なのですよ。


どんなに肥沃な土地だって、
蒔いた種が一瞬で花開き実を結ぶことはありません。
まず根を踏ん張って、重い土を押し上げ、細い芽を出すことが自然の流れです。

しっかりとした根を張ってこそ、
多少の雨風で折れることのない軸を持った
美しい花が咲くものです。



急ぎすぎて、迷子になっていませんか?